追い込まれること

よろしくお願いします。

突然ですが、人は時間に追い込まれることで初めて本気の力を出すことがあると思いませんかね。 ぼくは思います。というか、その本気の力をいつもあてにしています。 テスト1週間前に掃除をしていても、明後日締め切りなのにレポートが真っ白だったとしても、もうすぐ旅行に行くのに何も準備をしていなくても、ぼくは追い込まれたあとの本気の力をあてにして、まだ余裕があるときには全く追い込まれていないふりをして日々を過ごしています。 ただ、残念ながら本気の力というものは往々にして良い結果を生むとは限りません。 結局最後はいつもクオリティの低いものが生まれてしまいます。 この癖は直したいと思っているのですが、一度ついた癖は意識をしていてもすぐには治らないもので同じことの繰り返しになってしまっています。 どうすればいいのでしょう。

時間以外のものに追い込まれるときはいったいどうなるのでしょうか。 改めて考えてみると、ぼくは時間以外のものに追い込まれることは今までの人生で経験してこなかったように感じます。 長い人生ではないので他の人と比べるのもおこがましいような気もしますが、時間以外のものに追い込まれることは他の人もあまり経験してこなかったのではないかと考えています。

例えばどのようなものに人は追い込まれるのでしょう。googleで日本語検索をしてみると、仕事に追い込まれている人が多いようです。 前言撤回ですね。仕事に追い込まれている人はTwitterでもよく見ます。

Twitterで追い込まれていることをアピールする人は、何を思って追い込まれていることをアピールするのかと思ったことはありませんかね。 ぼくはよく思うので、その理由について考えました。 ぼくが3分ほどで考えた理由としましては、共感を得たいから、書くことですこし気持ちが安らぐから、多くの人がアピールしているからなどが挙げられます。 どれもあながち間違いではないのではないかと自分では思っているのですが、主観で考えた事柄なので間違っていたとしてもご了承ください。 追い込まれているとき、とりあえず何かアクションを起こさなければにっちもさっちもいかないものだと思っているので、アピールすることもひとつのアクションだと考えると納得がいきました。

さて、なぜ意味のないこんなことをつらつら書いたのかというと、今追い込まれているからという言葉が一番適切です。 先に挙げた理由の中では2番目にあたりますね。書くことで少し気持ちが安らぐからです。 何も解決していませんが、気持ちスッキリしたような気がしますね。

おあとがよろしいわけではないのですけれども、ここまでこんな駄文に長々とおつきあいいただきありがとうございました。 皆様の生活がよりよきものになることを祈って筆を置かせていただきます。 それではまた。