SNSと承認欲求

よろしくお願いします。

Twitterリツイートでよく回ってくるツイートは、フォローしている人によりますが大きく5つくらいに大別できると思います。(あまり大別できてないのは目を瞑ってください。) 一つは有名人のツイート。 一つは告知・キャンペーンツイート。 一つは写真や動画などのメディア系のツイート。 一つは文字系のネタツイート。 そして、流行ったネタツイートを改変した所謂二次創作ネタツイート。 みなさんはどのツイートをよく目にするのでしょうか。

そんな質問で始まる今回のエントリはSNS/Twitterについて書いていきたいと思います。 特にTwitterの中でも興味深いのはネタツイートに関することです。 先程の質問のネタツイートにも様々な種類があります。 その内容を挙げていくと枚挙にいとまがないので割愛しますが、人気ツイートにどんなものがあるか知りたい方は「私 min_retweets:5000」などとキーワードを入れてTwitterで検索してみたり、さまざまなめりっとというサイトで見てみたりするといいかもしれません。

ネタツイートって数多くありますよね。 なぜ人はネタツイートをするのでしょうか。 ネタツイートをするとお金がもらえるわけではありません。 ネタツイートをすれば病で死ぬ子どもが助かるわけでもありません。 多分、きっと、それは「有名になりたい」「すごいと思われたい」「みんなに知られたい」と思うような承認欲求があるからではないかとぼくは考えています。 もちろん承認欲求は悪いものではないと思いますし、多くの人が楽しめるネタツイートは誰かの心を癒やしているはずです。

しかし、ネタツイートでもあまり好意的に見られないものもありますよね。 昔の2ちゃんねるで流行ったネタの焼き直しは眉を顰められることもあります。 事実と見せかけた嘘ツイートなどは糾弾されることすらありますね。 最近、それはおそ松さんが流行った2016年頃から事実と見せかけた嘘ツイートは嘘松と呼ばれ嘲笑の対象となっています。*1 散々嘘ツイートが炎上している今でも、嘘ツイートが蔓延る現状はなぜなのでしょう。 少し話を盛った方がインパクトがありリツイートされやすいということから、話を盛りすぎていつの間にか嘘になってしまっていることもあると思います。 つまり、リツイートが鍵になります。 リツイートされたいという思い、それはネタツイートをする気持ちと同じ「承認欲求」が関わってくるのでしょう。

承認欲求とはどんなものでしょうか。 承認欲求の歴史については p-shirokuma.hatenadiary.com が参考になると思います。

個人的にも詳しく知りたかったので承認欲求に関する本を読んでみました。 読んだ本は

承認欲求―「認められたい」をどう活かすか?

承認欲求―「認められたい」をどう活かすか?

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)

の三冊です。

一冊目の『承認欲求ー「認められたい」をどう活かすか?』では、承認欲求についてまだ広く知られていなかった2007年に書かれています。 この本が書かれた時代にはSNSは日本ではまだ黎明期であり、本でも言及はmixi一つに留まっています。

この本での主題は世間や会社での承認について。 ぼくが注目したところは承認の種類です。 会社で働くことでも、現代の人々はお金や自己実現よりも承認を求めているという話から始まっていました。 お金を求めている人は多いがそのお金も金銭そのものではなく、金銭が能力や業績のシンボルとなっているのではないか、昔はお金が必要だったが今は豊かになっているため必要とまではいかず、逆にシンボルとしての価値になっているのではないかという話です。

個人的にもこの意見については賛成であり、今ではほぼ全ての行動が承認に操られているような気さえしています。 Twitterでもフォロワー数のような自分を見てくれる人が数値で示されているものがあります。 これは多くの人に認められフォローしてもらっているというわかりやすい指標であり、価値があるからこそフォロワーの売買などといった傍から見ると意味不明なことも行われています。

本のなかで、承認には二つのベクトルがあるとこの本では記されています。 表の承認と裏の承認、そして短期的な承認と長期的な承認です。 一つ目の表の承認では優れた能力や業績を称えることです。 それは対外的にも認められるという証であり、加点方式によって評価されます。 一方で裏の承認では規則や序列を守ることです。 これは他の人とは別にならず、憎まれたり嫌われたりしないで消極的に認められることになります。 この承認では減点方式で評価されます。 日本は表の承認が少なく裏の承認に縛られるため、歯がゆい思いをしながら表の承認に飢えているのではないかと感じました。

二つ目の短期的な承認では周りの人に認められるようなすぐにわかるような日常の承認が影響しています。 一方で長期的な承認では出世やキャリアアップといった長い目で見たときの承認が影響しているそうです。 日本では年功序列などにより長期的な承認はあまり見られず、短期的な承認に軸足が置いてあることも言及してあります。 出る杭は打たれるという言葉があるように、長期的な承認は他人の反感を買いやすいため抑え気味になっていることも言われています。

TwitterなどSNSの承認欲求というものは、この日本的な承認の最もたるものではないでしょうか。 リツイートやいいねなどは数字で表れ、それが自分のフォロワー数につながり自分がすごいと考えられるような表の承認、そしてTwitterをやっている人にリツイートによって認められているという短期的な承認。 この二つの方向の承認を簡単に得られることがネタツイートであり、その度合いを大きくするために嘘をついてしまったり、さらに簡単に得るためにネタを真似したりします。*2

本では、突出した人が反感を買ってしまうのはなぜかについても考察してありました。 日本では、反感は全く知らない人ではなく、ムラ社会などの知り合いからの反感を買うことが多いそうです。 日本は狭いので同じ場所に住んでいたり同じ価値観を共有していることが多く、人と人との差別化があまりありません。 できることも同質的になり利害がゼロサムとなるため、突出してしまうともう一方は不利益を被ってしまいます。 そのため、他人から反感を買うのではないかとのことでした。

そう考えるとゲームのガチャ結果などを呟くのはどうしてでしょうか。 良い結果がでると、その人と自分とで差が生まれてしまいますよね。 これは、SNSの知り合いは結局はアカウントの文字列しか知らない赤の他人であり、相手が良い結果を出したとしても自分に不利益とならないから、素直に賞賛できるという理由だと思います。 SNSではインターネットという程よい距離が間に挟まっているのがいいのでしょうかね。 逆に相手がズルいと思うようなことをしてしまうとインターネットが挟まっているにも関わらず炎上というかたちで他人の反感を買ってしまうこともあります。 正義という名の棍棒で袋叩きにすることはぼくはあまり好きではないのですが、承認欲求というテーマとは遠ざかるのでこれ以上言及はしません。

かくいうぼくも、何か出来事があったらそれに言及したり自分で頑張ったことなどをついTwitterに書いてしまうときがあります。 自分ではあまり意識していませんでしたが、改めて考えると承認してもらいたいからだったのかもしれません。

ぐだぐだと書いていたら長くなってしまいました。 世間や会社での承認をテーマにした少し古い本となっていましたが今のSNS社会に通じるところも多くありました。 他にもいろいろ今の行動の分析について参考になる部分もあり、考えて読んでいるといろいろ楽しかったです。 他の本はまたの機会があれば。それではまた。

*1:嘘松と言われることになっている理由は諸説ありますが、嘘ツイートをするアカウントのアイコンがアニメおそ松さんのアイコンになってることが多いからという説が有力なようです。[要出典]

*2:パクツイといわれるものですね。