少なくとも栞をこの世界と同じ不幸にはさせない世界の定義ならわかっているんだ
自分を顧みず、ただひたすらに栞の幸せを追い求める。
この作品は、2冊同時に刊行された作品だ。 もう一つは、『僕が愛したすべての君へ』。
僕が愛したすべての君へ (ハヤカワ文庫 JA オ 12-1)
- 作者:乙野四方字
- 発売日: 2016/06/23
- メディア: 文庫
どちらから読むかによって、受ける印象が全く違う。 1回目に読んだときは、ぼくは今回のエントリタイトルの作品ではない方を読んでいたらしい。 今回は、エントリタイトル『君を愛したひとりの僕へ』を読んだ。 そして、感想を書こうと思った。
以下、ネタバレありの感想。絶対に、記事を読む前に作品を2冊とも読んでほしい。
平行世界を研究している父。 母とは離婚しているが生き方が合わなかっただけで仲が悪いわけではない。 そんな二人の間に生まれた日高暦は離婚時に父についていき、平行世界を少しずつ学んでいく。
幼年期に出会った子が栞。 栞は、平行世界の研究所の所長の娘。 そんな二人は、平行世界を双方の親から学んでいく。 そう、この世界では、暦と栞が出会う世界。 このときは、出会うことがなんだって思っていた。
暦と栞の仲が深まっていく中で二人きりになったとき、暦は恋を自覚する。 当然だよね、と思う。 仲良くて、相性が良くて、魅力的な異性。 惚れるのは当たり前。
あるとき、親からの何気ない一言で何もかもが崩壊してしまった。 二人の関係、二人の気持ち。そして、二人の今後まで。 訳あって聞いたのはそうなのだが、聞き方が悪かった。
まさに、というこの文は読んでいて唸ってしまった。
形にしたくなかった二人の関係は、大人のせいで形を与えられてしまったのだ。
そのあとは、おぞましい展開が待っていた。 栞が栞ではなくなってしまったということ。 ただ二人が幸せになる世界に行きたかっただけなのに、どちらも幸せにならない現実に来てしまった。
そこからの暦は地獄だ。 ただ一つ、栞を救うためだけに身体に鞭打つ状態。 自分のせいという負い目があるからだろうか。
虚質ではあるものの栞といる時間は唯一幸せそうだが、果たして現実の話だと言えるだろうか。 このとき、平行世界があるならば、この世界を捨ててしまえばいいのに、と思ってしまった。
この世界では少し遅いタイミングで、和音と出会う。 『君が愛したひとりの僕へ』では、となりにいて一緒に研究してくれる存在。 他の世界、栞と関係がない世界ではいつも近くにいて立場は違えど支えてくれる存在。 この世界ではそんな和音と出会うことで、研究は加速していく。
そして、暦は気がつく。
この世界の暦は栞と出会うと必ず栞が不幸になってしまうから、栞に出会わない世界に行けばいいことを。
そして、出会わない世界に融合し、出会わないまま死んでしまえば、栞が不幸にならないことを。
ぼくはこの『君を愛したひとりの僕へ』から読むことで、この世界の暦に感情移入してしまった。 だから、栞に幸せになってほしかった。 ただただ、身勝手な願い。 でも、わかる。
暦は栞が不幸にならないようにする準備を整える。 和音のことも考えず。 なかば和音に無理をすべて押し付ける形で。
和音はなぜその無理を受容したんだろうか。 いろんな仕草や様子を見るに、和音は暦のことを想っていたのは明らかだ。
想っていたからこそ暦のやることを受け止めようと考えたんじゃないだろうか。 それに、もしかするとこの世界の和音は知っていたのかもしれない。 すべての世界の自分が、暦から愛されていることに。
この『君を愛したひとりの僕へ』では、ほぼほぼ暦以外の感情は書いてない。 意図的に隠されているようにも見える。 でも、なんとなくわかる。
タイトルの「君」は誰だろうとずっと考えていて、最後には和音だと思った。 この世界は暦にとって辛く悲しい世界。 だから、ここからいなくなって消し去ってしまう。 最後に、和音を愛した世界のぼくに融合し、思いを託したかったんじゃないかと。
この作品では、栞がメインのように見えるがそれは正確ではない。 きっと、この物語は和音と生きる、暦の物語だ。