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隣の芝生は青く見える

よろしくお願いします。

Facebookを見ていると、周りの人はいつも幸せそうに見えますよね。 Twitterであったとしても、周りの人のほうが羨ましく見えますよね。

タイトルにもあるように、隣の芝生が青く見えるのはなぜなのでしょうか。 ぼくが考えた理由として、他人は公開するときに脚色することができるが、自分は現状を突きつけられているからそのギャップによってこの現象が生じているのではないかなと思いました。 正解が一つとは限りませんが、「隣の芝生が青く見える なぜ」で検索をかけたところ、lifehackerの記事に次のような一文がありました*1

悪い面というのは人に見せないものなので、その結果、誰もがその人の良い面ばかりを見ることになります。

結局、他人が行ったことを全て見ているわけではないんですよね。 たくさん頑張った結果がそのことなのかもしれない。 たまたま上手く言った結果がそのことなのかもしれない。 それなりの結果をとてもうまく脚色した結果がそのことなのかもしれない。 どれにせよ、他人の行動は結果をみることしか自分ではできません。

では、隣の芝生が青く見える現象をなくすにはどうすればいいのでしょうか。 自分は自分、他人は他人と割り切ればいいのでしょうが、そんな簡単に人は割り切れるものではありません。 やはり、隣の芝生を見ないように、他人の行動を見ないようにすることが一番なのでしょうかね。

見ないようにしていても見えてしまうことは度々あります。 そのときに、他人を羨むだけならいいのですが、他人を妬んでしまうことだってありそうですよね。 羨むことに比べて妬むことは黒い感情がはいっているようで怖いです。 この羨むことと妬むことはどのように区別されるのでしょうか。

どのように区別されているかはわかりませんが、どちらの事象が強い感情になっているかは対照実験のように比較することで判別できそうです。 友人などの自分に近い人とフォロワーのフォロワーなど自分に遠い人が自分でもできそうなことで褒められていた場合には、きっと自分に近い人のほうが嫉妬心が強くなりそうです。 同様に、友人が自分でもできそうなことと自分では到底できそうにないことで褒められていた場合には、自分でもできそうなことで褒められていた場合のほうが嫉妬心が強くなりそうですね。

比較したものを見比べると、自分と比べて近いもの・ことのほうが強い感情になるように感じます。 ああ、だから、「隣」の芝生が青く見えるのでしょうかね。

言葉というのはよく考えられています。武器にだってすることができそうです。 まだまったくできていませんが、言葉を上手く使って過ごしていきたいです。 それではまた。

*1:元文が英語なので、二次引用となります