宇宙

宇宙に憧れを抱かなくなったのはいつからだろうだろうか。

これを言っちゃうと住んでいた場所が特定されてしまうけど、子どもの頃住んでいたところには、宇宙を研究していた施設があった。

そこでは、年に何回か一般公開をする機会があり、そのときは欠かさず見にいった。 ツアーに参加すると、説明を受けながら実際に色んなものを見ていく。 ロケット、人工衛星、隕石。 本物もあればレプリカもあったけど、少年時代ではそれが本物か偽物かなんて関係なかった。

水ロケットを飛ばして空に思いを馳せたこともあった。 宇宙ステーションの実験棟のレプリカに入って自分が宇宙飛行士になったことを想像してみたりした。 広い宇宙ではまだまだわかってないことがたくさんあり、その調査や研究をするということが何よりも眩しく、輝いて見えた。

家には、大きな天体望遠鏡があった。 両手の人差し指と中指で輪っかを作るくらいの大きさのレンズを暗い方に向けベランダから見上げると、粒でしかなかった星がまるで手が届きそうなくらいの場所まで近づいてきてくれた。 潰すことができそうなくらい小さかった月が目の前に広がり、うさぎが餅をついてる姿がよくわかった。

多分一番見たのはオリオン座。 あの中心の3つの星が見つけやすいから。 それに、リゲルとベテルギウスがきらめている。 あんなにわかりやすい星座、いいよね。 後片付けが大変でも、星を見ている間は関係がない。 夜空に煌めく星の一つ一つが、目に収まるような大きさなんかじゃなくて、それぞれが恒星として太陽みたいにエネルギーを放出しているっていうことがなによりもぼくをワクワクさせた。

最寄り駅の近くは、プラネタリウムがあった。 プラネタリウムは凄い。 謎の緊張感に包まれながら時間になるまで待つ。 入って好きなところに座れば、そこからはぼくらが宇宙だ。 映写機はあるものの、それ以外は邪魔になるものも何もない半円状の空間にぼくらはいた。

「昔はこう見えてました」というアナウンスが入ると、まるでワープしているかのような演出で空が変わる。 「これが夏の大三角形です」というアナウンスが入れば、映し出されていたデネブ・アルタイル・ベガが光の筋で結ばれる。 「今はこの星座が見えます」というアナウンスで、星が結ばれ、たとえば水瓶座が浮かんでくる。

一日の空の動きを高速でシミュレートし、いろんな星がぐるぐる回る中、移動しない北極星に不思議な気持ちを覚えたのも言うまでもない。 いまではそれが地軸の先っぽに北極星があるだけだと知っているが、その説明を聞いていなかったぼくはただただ美しさに息を飲み、上を見上げていた。

あのときは、確かに宇宙に憧れを抱いていた。

いつからなんだろう。宇宙から離れたのは。


ここから先は、思い出話じゃない、諦めの話。

中学生になり、高校生になり、将来を考え始める段階で、失われていってしまったんだろうか。 宇宙飛行士はエリートしかなれないという話を聞いて、諦めた可能性がある。 そんな簡単に諦められるようなら、もともとそこまで憧れてなかったんじゃないかと揶揄する人もいるだろう。 そんなことはない。 ただ、自分の限界を悟り、自分より凄い人が周りにいたことは確かで、そこで自分に失望を覚えたのはあり得るだろう。

宇宙について調べ、いろいろな事故を知ってしまって興味を失ったのかもしれない。

コロンビア号の事故。 2003年2月1日。 当時は事故が起こったことをあまり詳しく知らなかったが、あとから調べて怖くなってしまったんじゃないかと思う。 それだけ、映像として残っていることはインパクトが大きい。

チャレンジャー号の事故。 1986年1月28日。 この事故が起こった当時はぼくは生まれてすらいない。 でも、この事故はよく知っている。 工学系の人なら、大学の安全工学や技術者倫理といった授業で学ぶ人は多いのではなかろうか。 ぼくは授業で学ぶ前になにかの本を読んで知った記憶がある。 その本で、輝かしいもの表と裏があることに嫌気がさしてしまったのかもしれない。

こう見ると、すべて現実の話で徐々に諦めがでてきているように感じる。 そう、理想と現実のギャップで離れてしまったという懸念が頭をよぎる。 もしかすると、憧れっていうのは現実を知らないから抱くものなのだろうか。

今も宇宙に憧れを抱くタイミングは宇宙をテーマにした作品に触れるとき。 宇宙兄弟インターステラープラネテス夏への扉。 みんな大好きな作品だけど、現実と照らし合わせて考えると興ざめしてしまいそうなのがちょっと怖い。

最後に。 今の自分を振り返ると、今も理想があったうえで実行に移す際に諦めて妥協してしまってる気がする。 「こうしたいけどここが難しいからこうするしかないよね」という妥協。 「こうしてほしいけど無理なのわかってるからこうしよう」という妥協。 物事をすすめる上では必要な妥協と思ってやっているけど、本当は妥協しないほうがいいのかもしれない。 難しい。

なんか反省になっちゃったので折りたたむ。

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