幼い頃の記憶

自分には小学一年生より前の記憶が全然ない。

と言っても、何か事故があって記憶を失ってしまったというわけではない。

小学校に入る直前に親の転勤で引越があり、関西から関東へ移動することになった。 慣れない土地、違う生活、新しい人間関係。 その中で、まだ6年しか生きていない自分は、生活に必死に適応しようとしているうちに、記憶を失ってしまったんだろうと考えている。

そんなこんなで過ごしてきたわけだが、やっぱり記憶がないっていうのは悲しくて、友人と小さい頃の話をしている人を見るととても羨ましく思ったりする。

共通の思い出話で花を咲かせば、いつの間にかそれが同じバックグラウンドを持った相手となって仲間意識ができるはず。 自分にはそんなものがないので、小学校に入る前まで過ごしていた場所に戻ったとしても肩身が狭い思いをするわけである。

7月のはじめに、祖母の一周忌に参加した。 実家は関西にあるため、新幹線で里帰り。 実際の一周忌ではお寺で法要を行ったあと、会食。 このご時世もあり、親族のみでの会であった。

いつも里帰りしたときにはもうひとりの祖母の家に寄り、半日から一日過ごしたあと、家に帰るというのが通例である。 今回も例に違わず祖母の家に寄った。

戻ったときに、母親などはこちらに知り合いがいるので挨拶に行ったりする。 自分も少なくとも6年近くは過ごしていたわけなのだが、書いたとおり記憶がないわけで、挨拶する人もいない。

悲しいかな、祖母の家にはWi-Fiなどもないわけで、モバイル回線が繋がる携帯を触って時間になったら帰るということしかできないわけである。 ただ顔を見せてだらだらスマホをいじって法事をこなすだけ、という里帰りがここ数年は続いている。

幼い頃の友人がいたら、この過ごし方も違っていたのかなと思ったりする。 「あの頃こんなことしてたよねー。」という話で盛り上がり、「そういえばあいつ結婚したんだってよ」みたいな話に一喜一憂していたに違いない。 ないものを求めても仕方ないのだが、悲しいものである。

だからこそ、幼馴染という存在に憧れてしまう。 もちろんいい関係で続いていたとは限らないけど、お互いを知っていて、頼れる相手がいるのどんなに心強いだろうか。

妄想に夢を膨らませていたけれども、日曜も終わるので、そろそろ現実を見るしかない。 そんな存在なんていないわけで、頑張って生きていくしかないのだから。