本『読んでいない本について堂々と語る方法』

本をたくさん読む人は、読む本をすべて購入しているのだろうか。

この問いへの答えはNoだと自分では思っている。 もちろん購入している人もいるだろうが、時代が進みサブスクリプションなるもので価格崩壊が起きてしまっている映画や音楽とは違い、本はまだ*1価格崩壊は起きていない。 むしろ、紙の値上げに伴い本も値上がりしているように感じられる。

つまり、たくさんの本を購入するためにはたくさんのお金を使う必要がある。 もちろん、あまり読まない人よりもよく読む人のほうが家計に占める本への支出が多くなっているだろうが、読みたい本すべてを購入できるほど余裕があるわけではないと思う。


では、どうやってたくさんの本を読むのだろう。 自分が思うに、おそらく、本を買うのではなく借りるという手段を用いてたくさん本を読んでいるのではなかろうか。

本を借りるにはいくつかの手段がある。 例えば、図書館で本を借りる。 他にも、特に漫画であれば、レンタルコミックショップで借りたり、漫画喫茶で読んだりするというものがある。

ただ、借りるという行動は本を読むのに一つの制限が設けられてしまう。 時間的制約である。 図書館であれば、延長もできるがだいたい2週間ほどで返さなければならないであろう。 その期間中に読むことができなければどうなるか。

本を読まずに、返却するしかない。

自分は、本を読まずに返却することが多くある。 図書館で本を何冊か借りようとしたとき、特に目当てがなければ、最近返却された本から気になったタイトルを選んで借りたり、棚を見て目に止まったタイトルを借りたりする。

残念ながら、その本を読む気持ちのピークは、借りる瞬間である。 この気持ちはわかるだろうか。

読んでない本を返すとき、せっかく借りたのになあと残念に思う気持ちが出てくることがある。 ついでに、この本を読んだことにならないかな、という気持ちも。


そういえば、最近は積ん読という概念の認知が増えている。 購入したのに読んでない本のことである。 前に述べた疑問とは相反する話ではあるが、本をよく読む人はこちらについても深く納得してもらえるだろう。

あまり本を読まない人からすれば、買った本は読まれて然るべきものである。 しかし、本を購入したことで満足し、読まないという選択肢を取ることはよくあることなのである。

どうやら、これは万国共通の悩みらしく、2010年代にはイギリスを中心に「Tsundoku」という言葉が広がったらしい。

自分も、特に電子で本を買うようになった2014年以後から、積ん読という状態の作品が増えてきた。 人に勧められた本、Twitterのタイムラインで見かけた面白そうな本、前に半分くらい読んだシリーズの続巻。 これらすべてではないが、かなり多くの割合で積ん読という状態になってしまっている。


読書家たるもの、一度はすべての本を読み切りたいと考えたことはないだろうか。 本は毎日毎週大量に発行されているという事実を知ると前の文が荒唐無稽な願いだということをありありとわからせられるのだが、それでも考えたことはあると思いたい。

そう、本はどんどん増えているのである。 図書館の蔵書許容数も心配にはなるが、今回はもう少し狭め、自分自身のことを考えることにしよう。

本は増えているが、読む本には限度がある。 すなわち、読んでいない本と位置づけられる本は日を追うごとに増えていくわけである。

つまり、何が言いたいのか。

自分は、読んでいない本が増えていくのは読んでいない本について語る場面が来る確率が高くなると思っている。

借りた本を写真を撮ってTwitterであげたあと、この作品どうでしたかと聞かれたときなどもあるのではないだろうか。 知ってる作品の話に自分が混ざったあと、どういった本か覚えていない場合はどうだろうか。 この勉強をしている人は絶対読むべきと言われた本について聞かれたときの正解の回答は何だろうか。

そう、読んでいない本について語らなくちゃいけないときにはどうすればいいのか。

これらに対する回答を探るため、今回タイトルにもある、「読んでいない本について堂々と語る方法」という本を読んだ。 この本では、こういった悩みに答えるような驚くべき解決法が載っている。

翻訳版が筑摩書房から出ていることからある程度察せられるかもしれないが、ハウツー本のように何かに対してまっすぐな回答が出てくる本ではない。 しかし、この本を読むことで、そういった場面に出くわしたときの心構えなど、対応を考える上で、一つの参考になるであろう。

特に、この本がフランスで出版されてから、すぐに重版がかかったことも特筆すべき点であろう。

日本においても、もともとハードカバーが販売されていた本の文庫本がでているということはそれなりに売れて、文庫本を出しても売れるという判断が上でついたからではないだろうか。

それだけ多くの人に望まれ読まれているということは、面白いということにほかならない。

ぜひ、その目で読んで確かめてほしい。


ここまで、『読んでない本について堂々と語る方法』に書いてある心構えをいくつか使って書いてみた。 読んだ本について、その心構えを使うのは適切ではないと思う方もいるであろう。 しかしながら、自分はこの本を読んだと言い切ることはできそうにない。 したがって、心構えは役に立つわけである。

そう、1ついうとすれば前の段落までで述べた話は中身に対してあまり言及していない。 これは、わざとわかりやすいように書かないようにした。 最近は相手に伝わらない話は言わないほうがいいという風潮がどこもかしこも現れている。 皮肉を皮肉と捉えられるように、できるだけわかりやすくしたわけである。 どの心構えを使ったかについては、本書を参照されたい。


さて、この本は3つのパートに別れている。

1つめのパートでは、読んでいない状態はどんなものがあるかを分類分けしている。
2つめのパートでは、どんなときにコメントを求められるのかの例をいくつか挙げている。
3つめのパートでは、どういった心構えで臨めばよいかを複数説明している。

どのパートにも4つの項目があり、それぞれ中で実際の例を挙げて説明している。

前段落でハウツー本のようにまっすぐな回答はないと書いたが、正確に言うと回答はあり、その回答を見せるまでの過程がしっかり書かれておりそれがまっすぐに見えないというだけだと思われる。 すべてきっちり分けられているので体系的すぎるのではないかと思ったこともある。 そんな話だったけな、と思ったらどんでん返しを食らう部分もある。

それらを含め、最初は読んでない本のことを堂々と語ってもいいだろうという話を延々としているように感じた。 しかし、読み進めるにつれて、それは違う印象となった。 堂々と語ってもいいだろうという話ではなく、そう語るしかないと言わざるを得ないようなかたちである。

この本は、おそらく本を読まない人に向けた本なのかもしれない。 別に読まなくていいんだ、読まなくても語っていいんだ、どんどん語っていこうとすら語りかけてくる印象もある。 そういった人であれば、ぜひこの本を手に取って読んでほしい。 すこしばかり難しい言い回しが多いかもしれないが、読みきったときはきっと新たな側面が見えてくると思う。


まとめとなるが、最後には、気にせずに意見を言えと書いてある。 この文章についても他のレビューサイト等で書かれている内容と異なっている部分があるかもしれないが、それはきっと、自分は違う部分を見い出し創造したのに過ぎないのであろう。

本というのは、結局は媒体であって、著者が表現したいものとそこから得られるものは完全一致するわけではないのだから。

*1:電子書籍では一部でサブスクリプションサービスが展開されており、今後はどうなるかわからないが。