他人への期待

最近、人に期待することをやめたほうがいいと思っている。

これまで過ごしてきて、期待したことはあっても期待してよかったと思えた機会が全く思い出せないからだ。

なぜそういう状況になってしまうのか、自分なりに考えてみた。

期待というのは、自分と相手とでその物事に対しての態度のズレが生じやすいものだと思う。 何かを期待してしまうと、自分からすると、相手に高い確率でやってもらえるものだと思ってしまう。

一方で、相手からしたら多くの場合は言及されてないのだからどうしようもない。 というか、頼まれた内容だけで精一杯で、追加で何かを期待されていることに気がつくかどうかすら怪しい。

そのまま話が進んでいくとズレが生じるだろう。 ズレが生じると期待から外れるため、相手にいい印象を持てなくなってしまう。 結局その相手との人間関係がうまく行かなくなり、お互いに悪い気持ちで終わってしまう。

まさにいいことなしである。

また、もし期待どおりにやってもらえていたとしても、リターンが少ない。 頭の中ではやってもらえるものだと思っているので、結局満足度は高くない。

つまり、やってもらったら当然、やってもらえなかったら不満が残るというかたちとなり、どちらに進んでも悲劇しか待っていない。 期待するだけ損になってしまう。

これが期待することをやめたほうがいいと思っている理由である。

では、こういった期待を回避する方法はどうすればいいだろうか。

上で大きく問題として挙げているものとして、自分と相手との認識のズレがある。 これを解消するにはどうすればよいか。

それは、共通認識を持つことであると思う。 共通認識を持てば、枝葉末節が違っていたとしても、お互いの根幹の考え方は一致するので、ズレは起きにくくなる。

では、どうやって共通認識を持てばいいのだろうか。

そんなものは一つしかない。 期待したいことをはっきりと言語化し、頼むべきである。 言語化すれば何を求められているのか伝わるし、うまく言語化できれば変な認識が挟まってくることもない。

簡単ではないが、単純である。

ただ、言語化するのは存外難しい。

言葉にするとそれは依頼となってしまうため、相手にお願いする、いわゆる負担を増やすようなイメージとなってしまう。 相手に迷惑をかけたくないからこそ、言わずに心の中に留めておくことを選ぶ人もいるのではないだろうか。

だが実際、言葉にするよりも言葉にしないほうが相手に負担がいくことになる。 何を求められているかわからないよりも、わかったほうがゴールが見えるため心理的な余裕が生まれるわけである。

また、もしそれが無理な場合、断られることもあるだろう。 断ることや断られることは痛みを伴うが、一時的なダメージで済むため、それを言わずに後々出すよりも間違いなくマシになるはずである。

何でもできそうな人でも常に全力で何でもやってるわけではなく、何かしらを諦めたり見逃したりしている。 自分みたいな一般人も言わずもがな。 だからこそ、きっちりと話し合い、お互いができるかつ納得するラインを見つける必要があると思う。

上で言っている話をまとめると、期待するのではなく、相手の背景やできることまでを把握し、ここまではやってもらえると知った上でそれをきっちり言語化してお願いすることが必要ではなかろうかということである。

まとめて書くととても難しいことのように思えるが、そのあたりを優先的に考えながら、他人に期待せずに過ごしていきたいと思う。

期待するより口を出しという考え方で進めたい。